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人生を楽しく生きるこつ

 人生にはいろいろ選択肢がある。
 先日見たテレビで、有名なおじさんが「迷ったら困難な方を選べ」と言っていた。
 確か、高校の時の地理の先生もそう言っていた気がする。

 そうね。ん? いや、果たしてそうかな?
 
 私はね、そうは思わないんだよ。貧乏くじは引かない方がいいし、無駄な努力なんてすべきじゃないよ。
 
 自分の人生を思い返してみると、あんまり迷うことってなかったけど。

 そうねぇ、今思い出して、一番迷ったのって、大学4年生のときに、指導教員を変える選択をしたときだったかな。
 あの時は、本当に迷った。
 明らかに、困難な道は、指導教員を変えないことだったと思う。しかも、指導教員を変えないでそのまま進学していれば、多分研究者としては一流になれているであろうことは、明らかだった。あの時の研究所は、学生もほとんどいない一流の研究所で、だからこそ、研究者同士のコネも作りやすかったし、設備に対して人が少なかったから、のびのびと研究できた。こう言っちゃなんだけど、多分私は同じ年の受験生の中でも成績は良い方で、先生方の覚えもめでたかったはずだ。
 なんか辛かったけど、これは研究者になるためのハードルだ、これを乗り越えたら一流の研究者だぞ、って、一番私がわかってて、そうやって最後の方は生きていた。卒論終えたくらいは、ラボにいるだけで涙が出て止まらない状態だったけど、「これを乗り越えれば!」ってその時も思ってた。

 でもなぁ、結局その道は選ばないことにしたんだ。
 最後まで悪あがきを続けていたんだけど、やめよ!って思えたのは、電話したときに父親が言った「辛いんだったら戻ってこればいい」っていう言葉だった気がする。
 研究の世界なんて、ろくに知らない父親ですよ。何いってんだよ、って思う気持ちもなくはなかったけどさ、やっぱ、なんか、肩の力抜けたかなぁ。その時も、ぶわって涙が出てきたけど、父親に悟られてはいけないと思って必死に声を出したのを覚えている。
 
 決めた後の私の行動は迅速で、とりあえず、行くはずだった大学院に辞退届けを出して、知り合いの先生に指導教員がどれだけ科学者としてダメなのかを語り、さっさと荷物をまとめて帰ってきたのでした。

 このときの選択はね、間違ってなかったと思う。結局研究者にはならなかったけど、それもそれで良いと思う。
 でもその一方で、もしもそのままあの大学院に行っていたら、とも考える。IFの話をしても仕方がないけれど、なんとなく、それでも私はうまくやっていたんじゃないかと思うんだよね。

 人生で大切なのってさ、決めることだよ。
 大事なのは、自分の意志で選択をするということで(別に選択肢のどちらを選んだって良い。簡単な道なぞこの世にはないのだから)、その選んだ方向を向いてしっかり歩いていくことだよ。
 誰かのせいにしたり、状況のせいにしたりせずね。

 急にこんなこと書き始めたのは、このブログの過去の記事を読んだから。
 実はこのブログは高校生のときからやっておりまして、非公開記事が山のようにあるんだけど、それらをちょっと見てたのね。
 せっかくなので、追記に当時の記事を抜粋。お暇でしたらどうぞ。
3月1日
 今日、指導教官に「○○さんはいつもうなずいてるけど、本当にわかっているのかわからない」と言われ、挙句の果てに「結果を予想しながら実験しないといけない。○○さんはなにを調べたくて実験しているのか見えてこない」と言われてめっちゃイラっとしたついでに泣きたくなった。
 こんなに頑張ってるのに、なぜそんなことをいわれにゃならんのじゃ。
 
 いつものように、死ねばいいのにとは思わなかった。
 ただ、絶対にこの研究室を出て、私がいなくなったことを後悔させてやろうと思った。


3月2日
今日、少し気分が持ち直しました。

 昨日、一昨日はすごく気分が落ち込んで、うっかり一人になるとぼろぼろ涙が出てきて困っちゃいましたが、今日は大丈夫でした。
 それはいいのだが、昨日の落ち込みようはちょっと異常ではなかろうか、と自分でも思います。

3月3日
ごろごろしたいよー。あーあーあー。

 数日前の私のキレぶりがよっぽどだったのか、指導教官が微妙に気を使ってくれてるのがいたたまれない。
 すみませんなぁ。

 めちゃくちゃ実験を詰め込むのが評判の先生の口から、「クローニングはまたあとでいいよ」というお言葉が……!!! どういうこった。
 友達に出した愚痴メールか、大学の教授に出したヘルプメールが先生のところにCCされていたのではないかと疑ってしまうくらいタイムリーで笑える。いや、笑えないくらい、タイムリーなんだよな。

3月9日
 今日実家に帰ります。

 この先一週間は、いろいろなところを転々とする予定。
 とりあえず大学院は、○○に行くことにした。
 不安は大きいがなんとかなる気がする。
 このブログ、手を抜きすぎですみません。
 もうちょっと実のあることを書きたいものだが。ごめんなさいね。

3月16日
 こんにちは。お久しぶりです。

 言ってることが二転三転してすみません。
 私、●●●に進学しそうです。

 ●●●の研究室に戻って、先生とか先輩とかにたくさん話をして、話を聞いてもらって、やっぱり、○○で頑張るのは無理じゃないか、と思いました。頑張っても、意味がないんじゃないか、と思いました。
 先生たちは、「自分がいちばん楽しいと思うことをしなさい」と何度も言ってくれました。
 今の研究室は、苦しいばかりで楽しさは少しもないです。

 ○○の研究室は、人数も少ないし、私がいないとラボを回すのが大変なくらいなので、すごく、必要とされているのがわかるんです。それに、研究所の人たちにも知り合いが増えてきて、みんなが「頑張ってね」って言ってくれてるので、ここでやめたらそれを裏切るみたいで嫌だったんです。

 でも、私自身に関して言えば、結構苦しい状況なんです。
 部屋に帰って、ごはん食べて風呂入って眠ってまたすぐ研究室へ行く生活。研究室の滞在時間は平均14時間くらいで、ちょっと実験が長引けば16時間くらいいるのも当たり前でした。
 ラボの人数が少ないから愚痴を言える相手もいないし、そもそも同級生がほとんどいない。頼りにならないポスドクさんは、先生から言われる実験データを出すだけのマシンと化していて、そこに希望は全くないです。
 思考を止めて、ただ実験をしていればおそらく結果は出るでしょう。論文も出るだろうし、奨学金ももらえるとは思う。しかしさ、そこに私の目指すものはあるのでしょうか、という話なんですよ。

 ●●●に戻ってきて、少し不安なのは、実験することがあるのかしらん、ということです。
 やりたいことっていうのが完全に霧散した状態です。幸い、先生たちはしばらく休めばいいと言ってくれているので、お言葉に甘えて休もうとは思っています。

3月18日
アパートを引き払うのにお金がかかるよぅ(泣
結局この世は金なのか!!?
はぁあああぁぁぁ。仕方ないな。

いろいろな人に、「私は●●●に逃げ帰るよ」と報告してきました。
隣のラボの准教授は「もっと不真面目でいいんじゃない、いろいろと」と笑ってました。
一階上のラボの准教授は「修士はもうちょっと学生気分で楽しみたいよね」と理解を示してくれました。
隣のラボの技官のおばちゃんは「若いんだから大丈夫よ」と励ましてくれました。

誰一人として、呆れることなく、みんなが、仕方ないよね、頑張って、と言ってくれました。
私としては一生一代の大決断のような気がしてたんだけど(と、いうか、実際そうだとは思うんだけど)、他の人にとってはそうでもないんだなと思ってとても安心しました。私、自分で考えていたよりも大したことなかったんだなぁ。ははは。気が抜けました。よかった。

一番予想外だったのが指導教官で、やっぱりね、という感じでした。
まぁ、事後報告でしたから、完全に。口を出す暇もないよねぇ。
今やってる内容を論文にしたいみたいでしたが、私が「4月から新しいことしたいので」と言ったため、この研究は完全凍結の方向です。別にいいや。ちゃんと論文にできるデータにするためには、少なくともあと半年はやらなきゃならないだろうね。ちゃんとしてないデータにしようと思えばあと2カ月でできる自信はあるけど(笑。多分、指導教官はそれでいいって言う。しかし、私は嫌だって言う。だから、私はこの地を去ることを決めたんですよ。そのあたりのね、食い違いが、今回の決裂の一番大きな要因なのよ。(指導教官は多分気付いていない)

今回の一連のごたごたで思い知ったことはたくさんありますが、なんといっても
『研究をするのは人間だ』
ということを痛感しました。
データ解釈についてもそうだし、ラボ運営についてもね。実験の進め方ってのは、その人の受けてきた教育+本人の性格が出ます。

少し前から、私はどうして研究者になりたいと思ったのかしらん、と考えていました。
やりがいのあることをしたいってこともあるし、純粋な興味もあるけれど、他の仕事じゃなくて研究者を目指した理由ってのは、「名前を残したいから」ってのが一番核になってるかな、私の場合は。
私は、死んでしまうことが本当に怖くて仕方がないんだよねぇ。
死んでしまったら消えてしまうような気がしてね。だからさ、こう、ね。自分が生きていたっていう、私という人間がいたっていうことをね、残したいと思っているんだろうなぁ。
ま、今となってはそんな理由はよくわからんものになってしまったけれど。いま自分でこう打っていても、わけわからんなぁと思うもの。

勉強はそこそこ楽しいし(ときどきね)、研究への憧れも残ってるし、根性あるし、環境もよろしいので、あと少し休んだら、また走りだそうと思ってます。ぼちぼちね。ええ。健康を害しない程度に。

4月2日
 昨日で最後だと思っていたはずなのに、指導教官から「実験データをDVDに焼け」と命じられたので、昨日一日中パソコンにかかりっきりになり、今日もまた研究所に行ってきました。
 最後の最後まで人使いの荒い……。
 パソコンのデータは、私が分かるように入れてるので(=他の人には分かりにくい)、まずはそれの整理から始め、膨大なデータをDVDに焼くという超面倒な作業でありました。100GBくらいなものだから当然一枚には収まらず、結局15枚くらいになったのかな。うん。
 最後、名残惜しい感じで去れると思っていたのに、清々したと思いながら去ることになりました。
 ま、あきらめついていいけどねー。こんなラボにいたら命がいくつあっても足りないよー。
 
 この心の動きも、私がこの地を去ることを決めたことを最大限に自分に納得させるためのものかもしれないんで、よくわからんけどもね。自分の心が一番わけわかんねっす。
 二重人格じゃぁないけれど、私の中にはめちゃくちゃ厳しい「私」ってのがいて、そいつをどうにかなだめながら生活しております。そいつはとにかく厳しくて、英語を勉強しろだの教科書を読めだの論文を読めだのもっとコミュニケーションを取れだのとにかく完璧主義。で、私はそいつに「まぁまぁ」といいながら適当に生きる道を模索しておるわけね。ふふふ。でも、こいつがいたから私はここまで順調に進学できたんだと思うので、当分こいつと手をとりながら生きて行く予定です。

 この研究所に来てよかったと思えたことは、「自分の人を見る目は大したことない」ということがわかったことと、神経系の知り合いが少しできたことです。一応、関係の深かったラボにあいさつに行ってきました。みんないい人たちばかりでした。この研究所に進学して、他のラボにいくという手もあったけど、今の指導教官から可能な限り(物理的に)離れたかったので、残念ですがわたくしは戻ります。さようなら。惜しまれているうちが華よねぇ笑。

 昨日、久しぶりに指導教官に会ったけれど、二人きりになるとどうも私は喧嘩腰にしか話せなくなっていました。あーあ。嫌いだなぁと思ったら、心の底から嫌いになってしまったなぁ。二度と会いたくないなぁ。あーあ……。
 しかし、私の喧嘩腰、自分で言うのもなんだけど結構怖いと思うよ。
日常 | CM(0) | TB(-) 2017.08.09(Wed) 20:07

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Author:創
分子生物学系の大学院生やってました。
いまは日本の心臓で働いています。

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