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これは、FBでアップしようとしていた文章。伏せてあるのは全部書いていたのだけど、消して、UPします。

たいとる:すべてが終わったその後で。

関係者のみなさま、ありがとうございました。
本日、---大学---学研究科にて、博士(---学)を取得いたしました。

少々変な経歴を歩んできましたので、感情の供養の意味を込めて、この8年ほどの状況をここに残しておこうと思います。特に嘘は書いていませんが、もちろん、現状と異なる部分はあります(改善されていることも、もしかしたらあるのかもしれない。今となってはどうでもいいが)。当然ながら、私が置かれた状況の話ですので、全ての人が同じ体験をするとは限りません。また、私の主観ですので、いろいろご意見はあるでしょうが、博士取るってこういうことです。ホント、これを書く目的は、これまでの自分の供養です。

 まず、私という人について紹介。
 そんなに賢いわけじゃないです。どちらかというと真面目なだけの人間です。(最後の方はそれも怪しかったけど)
 自分では、結構楽観的な人だと思っているけれど、他の人はどう思っているでしょうかね。あ、決断力はあると思います。潔いよ。粘り強くはないね笑。変わり身の早さ、フットワークの軽さに定評あり。

 以下、時系列に沿ってつらつら。

【大学4年生】1年目
 ---の研究がしたいと思い、ラボを選択。当時は、メインで---系の研究をしているラボは2つしかなく、脊椎動物の方が良いなと思ったのでこのラボに決める。(この時私が扱ってたのは培養細胞だったけど。)入ったときは、マスターから外の大学院に行こうと思っていた。今でこそうちの大学は---系ラボ多いけど、当時はそんなになかったし、哺乳類やりたいかな、って思っていたからね。(今思うと、おマウス様に手を出さなくて本当に良かった。あそこは戦場やぞ。。。)
 ラボに入って早々、指導教員の助教---(当時)が、---山の麓の研究所にテニュトラ准教授に採択される。その研究所は、---系の面白そうな研究してるラボがたくさんあるので、「まぁ、楽しいかもな」と思って、ついていくことを決める。大学院は、---大学と某大学院大学を受けて、両方合格。夏ごろ、---に引越し。半年間研究。
 3月、指導教員と決別。理由は、先生がサイエンティフィックに信用できなくなったのが8割だけど、残りの2割は某研究所の環境が苦しすぎたから(大学院生が少ない)。夏に、気まぐれで---大学の院受けといて良かった、と心の底から思った。

【修士1年生】2年目
 元の---のラボに出戻る。テーマがない。ちょっと惨めな気分。
 教授と助教②に師事。手探りで研究を始める。(これがそのうち論文①になる)

【修士2年生】3年目
 研究。DC1(※注1)書いたけど落ちる。書き方というより、テーマがイマイチなのかなと思い、修士2年の終わりに、この研究は修士までにしようと決める。教授と助教②の指導能力に疑問を感じたのもある(むしろこちらの理由の方が大きい)。
 研究テーマを変えるにあたり、2年間の研究結果をどうしたいか聞かれたので、私は「ここまでの研究結果で論文にできるのならば論文に仕上げたい」と言う。教授と助教②は了承。この時点で、私の認識の間違いは、「論文に仕上げるために、追加の実験は不要である。文章を書くだけで完成させられる」と思っていたこと。実は、私の修士論文はこの時点(※修士論文提出時=M2終了時)で教授はほとんど見ていなかった。結果もほとんど把握してなかったと思う。(修士論文を事務に提出する日に教授に提出したので、時間的に添削できるはずがない。)私の研究結果をそこまでちゃんと見ていないのだから、指導教員が追加の実験の要不要が判断できるはずはない。しかし、私は教授なのだから全てを把握した上でそう言っているのだと思っていた。今思うと、確認不足なんですが、誰も教えてくれなかったのですもの(※2)。
 この時点で、私は将来研究者になろうと思っていたので、1stの論文は1本でも多い方がいいだろう、という打算が働いたのも事実。欲を出すといかんね。魂に刻みました。

【博士1年生】4年目
 新研究スタート。准教授に師事。春にDC2を書くものの、提出時点で---(博士からの新しい研究対象)の研究は全くスタートしておらず、真面目に顕微鏡で---を見てすらいなかった気がする。完全に知識と妄想で書き上げた申請書。しかし、ネタが良かったらしく、採択される。(いや、実際面白いと思うよ? 研究手段があればな?)
 採択が決まるのは秋~冬ごろなのですが、私が実際に---を扱い始めたのは採択が決まった頃でございました。それまで何してたかって? ---の追加実験と論文作成してました。返ってこない添削、進まない論文作成、追加追加の実験。論文完成までの道のりは全くの不明。准教授からは「まだ---の実験はじめないのか」の圧力。言い訳ばかりの毎日。教授への言い訳。准教授への言い訳。自分への言い訳。努力が足りないのではないかという自問自答。何をしても誰かに後ろめたく思い、何もしなくても罪悪感で体中を掻き毟りたくなる。動き続けても動き続けても足りない気がして息苦しくて、それでも休むこともできない。はははっ、死にたくなるよ?笑 ふふふふふふ。「自分が選んだものなのだから」って常に自分に言い聞かせていた。
 そしてさらに苦しいのが、この状況をラボの外の人に愚痴ると、私が我侭言っているみたいな印象を与えてしまい、逆に宥められるという悪夢。(うちの先生たちは対外的には紳士な人たちだから。誠に困ったことに。)おかげで、ラボ内の人たちとの結束が固くなる笑。
 この頃(D1→D2の3月くらい)、---大学院(※3)という愉快な制度で、2週間ほど---に研修に行く。この研修が人生を変えた。単純に、ラボから離れるというのも良かったし、研究室以外の知り合いができたのも楽しかった。あと、元官僚の人に会って、理系でも国家公務員になれるというのを知った。(恥ずかしながら、それまで、全然研究者以外の仕事知らなかったのです。)

【博士2年生】5年目
 この年は学会に飛び回っていたなぁ。アメリカも行ったし、奈良、滋賀、仙台。。。京都も行ったか? ネタは、他の大学の先生とやっていた共同研究。この時は、実験テーマは3つくらい並行していた。
 テーマ①はメインテーマ(申請書のネタ)で、修士の後輩一人と一緒にやっていた。
 テーマ②は、テーマ①に関連あるもので、でもやってるのは私一人。片手間な感じで。(どう転ぶか読めない内容だったから)
 テーマ③は、学会で発表していた内容。共同研究。これも、こっちサイドの実験は私一人でやっていた。実働部隊としては。
 一番研究者してた時期かもしれない。

 このころから、一般企業への就職を考え始める。じわじわっと、理系向け就活イベントとかも行ってみる。(しかし、化学系、農学系ならまだしも、---部の---系ってあんまりお呼びではないんだよね。博士ほどの専門性を生かせるところはあまりないと思う。修士くらいだったら問題ないんだろうけど)
 このときに、心の底から思ってたのは、「あー、この閉鎖的で苦しい大学院のラボって制度をぶっ潰してやりたいぜ」ってことだったので、一番上の---に就職しようかな、と考え始める。(安直)

【博士3年生】6年目
 お試しのつもりで受けていた某試験に受かったので(---は落ちた。負のオーラを出しすぎたのかな)、就職することにする。現在の就職先には、拾っていただいて誠に感謝しております。
 この時点では、正直、もう満期修了で博士の学位は無理だな、と思っていた。3月まで、サボる気も無かったけど(学振の給与貰ってたから)、命すり減らしてまで実験するのは辞めよう、と思っていたのですが、テーマ①を一緒にやっていた修士の後輩が真面目にやってくれていたので、「この人にまっとうな研究結果を発表させてあげたいなぁ」と思って、結局結構頑張って実験してしまった。(そういえば、どの月だったか忘れたけど、1ヶ月、正確にラボにいた時間をカウントしたことがありまして、そこから時給を計算したら、530円くらいになった。安い。)結局、テーマ①は突き詰めれば突き詰めるほど説明つかないデータが出てきたので、論文としてまとめるのは無理じゃないかね、、、ってところに落ち着いてしまった。あーあ。。。お蔵入り。。。今のアプローチだと上手く行かないということを証明したようなもんだ。想像していたよりも、---の---は複雑でした。---がな・・・・・・(略)。
 だがしかし、テーマ①でやってた操作をテーマ②に流用して、ちょっと愉快な結果が得られる。これならまとまるかな、どうかな、ってところで、タイムオーバー。離脱。
 
【社会人1年生】7年目
 1年目で学位取る予定で、先生にスケジュールを組んでもらうものの、仕事が忙しくて私の返信が遅れたり、なぜか知らないけれど先生から全然返信が返ってこなかったりして、1年が終わる。焦りと苛立ちが半端ない。
 明らかに、知識を忘れてゆくのでさっさと終わらせたい一方で、私の方は平日仕事で死にそうだし、先生からのサポートも不十分だと感じた。あまりに先生からレスポンスがなかったときに、もう学位取れないならすっぱり諦めようと思って、自分が持ってる実験結果を海外の似たようなことやってるラボに送ろうかと思ったこともある。
 このへんで、修士のときの論文(!)が完成したようだった。もう、完全に自分の手の外に出て行ってしまった案件だという認識なので、無責任ではあるけれど、ふぅん、ってくらいの感想。この件については、私も山のように言いたい事があるし、関係者も山のように私に言いたい事があるだろうけど、(私は加害者であり被害者であるのだろう。比率は知らん。)正直私にはどうしようもないものだった。この件に関わるごたごたで、私は涙を何リットル流したか分からないし、何回殺してやろうかと思ったか数え切れないし、何回死んでやろうかと思ったかわかりません。私が死んだら、ニュースになって、この腐った体制が変わるかな、って夢見ていたときが、ありました、私にも。あ、いかんいかん、これ、長くなっちゃうわ。割愛。

【社会人2年目】8年目
 投稿するとかしないとか、した後でリバイスとか、全部実験結果入れ替えるとか、もう、本当にこのときもストレス半端なかったです。就職を選んだのは私ですが、リバイス作業しているときは、本当に、心の底から、「私が実験できれば・・・・・!あああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!」って思っていた。ま、先生もそう思っていただろうけど。
 結局私は、自分の手で出した実験結果しか信用してないんだなぁ、と思いました。そういうことが、たくさん露呈するようなことばかりだった。

(※注1)日本学生支援機構というありがたいところが募集している博士研究員制度。M2の春に申請して秋~冬に結果がやってくるDC1(援助期間はD1~D3の3年間)と、D1のときに申請するDC2(援助期間はD2~D3の2年間)がある。採択率は30%くらい? 率は、学校、ラボ、研究対象でかなり差があると思う。(申請書の内容もさることながら、所属ラボの強さに依存するような気がする。いろいろ情報は伏せられた上で評価されているらしいけど、内容見ればどのラボかなんて大体分かるやろ。)採択されると、月20万円の資金的援助を受けて、研究に専念できる。学生なのに月20万貰えるのか、と思うと大変お得だが、同期たちが普通に就職して受け取る金額と比べればなんてことはない。

(※2)大学教員というものについて。はっきりきっぱり言いますが(これは掛け値なしに真理だと思うので)、あいつらは「研究者」であって、「教育者」ではないですよ。私らの人生なんて全然考えてないから。(良い研究結果が出ないのは、院生である私らの責任です。上手くコミュニケーションできないのも、私らの責任です。研究を進める上で上手く行かないのは、全部全部私らの責任です。もちろん、本当に先生がこういう発言をしているのを聞いたことはないけれど、そう思っているのでなければ、どうして平然とあのように生きていけるのでしょうか。そんくらいのこと言われても(やられても)割り切れるくらいの覚悟が、こちらにないといけない)
 私は、その辺を、勘違いしていたので、いろいろ苦しんでしまった。
 もっと早く諦めていればよかった。

(※3)優秀な学生を俯瞰力と独創力を備え広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーへと導くため、国内外の第一級の教員・学生を結集し、産・学・官の参画を得つつ、専門分野の枠を超えて博士課程前期・後期一貫した世界に通用する質の保証された学位プログラムを構築・展開する大学院教育の抜本的改革を支援し、最高学府に相応しい大学院の形成を推進する事業です(コピペ)。私は、---大学で---というリーディングプログラムに加わっていました。別に、学位取得は応援してくれないので、学科全体としての学位取得率は変わっていないと思います。学生は追加で授業受けたりイベント開催したりしないといけないので、教員たちの中には、所属院生がこのプログラムに参加するのを良しとしない人もまぁまぁいますが、私としてはこれは結構愉快で良い制度だと思います。このプログラムのおかげで、私は、研究者になるという以外にも生きていく道はあるのだなと思えましたし、とても視野が広がったように思います。この制度がなかったら、私はきっと鬱々として追い詰められた気分で研究者になっていたと思います。もしかしたら、それでなんか凄い成果上げてたかもしれないけど。

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 以下、追加で思ったことをつらつら。

【博士課程というもの】
 楽じゃないっす。
 楽じゃない、の中身は、「努力が報われるわけじゃない」ってところです。
 研究ってそういうもんだって言う人もいると思うし、事実そのような性質があるんだろうなぁとは理解していますが、指導者にある立場の人が適切に導くことで回避できることは沢山あったと思います。沢山ね! そう、山のように!!! 私の周りに、博士課程に進んで気の毒なことになった人もいて(本人がどう思っているかは知らないけど)、私は、その人たちのことを考えると、やっぱり、遣る瀬無い気持ちになります。

【研究テーマについて】
 難しいよな。。。何をどう選ぶか。その道筋くらいはさ、先生方、与えてやってくれませんと、路頭に迷いますので。。。
 わたしは、変えすぎ。指導教員も、変えすぎ。
 しかし結局、最初4年生の間だけいようと思っていた研究室に、最後までいることになったねぇ。笑。人生思い通りには行きませんなぁ。
 でも、いろんな実験できて楽しかったよ。培養細胞、DNAワーク、行動解析、ウェスタンブロット、in situハイブリダイゼーション、イメージング、各種インジェクション、---も---も飼育できるし、なんかいろいろやらせてもらいました。やっぱり私は、ひとつのことを突き詰めるのって飽きちゃうんだろうな。ていうか、不安なんだろうな。きっと。自分に自信がないから。

【今の仕事について】
 今の仕事は、ポストがころころ変わるので、向いているかな。もう少し続けないと、なんとも言えないけど。安定しているというのは、やはり好きなので、しばらくはここに居ようと思っています。(研究者はなぁ、安定レベルが低すぎるんだよぉ泣)
 うーん、しかしやっぱり、私の本質は研究者気質です。データが好きだし、いろいろなものにサイエンティフィックな根拠が欲しい。
 そして、人間関係のごたごたが最強に嫌い。そういうものが多い日本の職場ってのは好きじゃないな。(特に今の職場は、日本で一番伝統的なところだからな)一回海外で働いてみたいんだが。。。ちょっと人生が足りないなぁ。(←博士課程+αでロスった・・・)

【もう一度やり直せるのならば、】
 博士課程には行かないかな。
 金と時間と健康の浪費。(博士学生期は、元同期が就職したり、Dの同期が消えたり、学費が高かったり、将来が未定すぎたり、そういうことは予想はしていたけれど、実際経験すると予想していた以上に精神にクるものがあった。割と図太いと思っている私がそうなのだから、繊細な人ならば何をかいわんやですよ。)
 研究っていうのは楽しいけれど、博士課程に入るという以外の道でそれに匹敵する楽しいことはあるだろうなと思う。企業に入って研究するってのもできたと思うし。
 あの環境にいたために、私はめっちゃ性格悪くなったと思う笑。無論、元から素養があったことは否定しないが。

【研究の未来について】
 研究者をもっと手厚くサポートする必要があると思います。研究に集中できる環境が必要だと思います。また、次世代の研究者の育成も推進する必要があると思います。少なくとも、私が体験してきた環境は、あまり私たちに優しくはなかった。

【日本の未来について】
 柔軟性が足りないですよー。多様性が低いですよー。
 研究室にいた頃は、研究室って前時代的で息苦しいなぁと思っていたけれど、今の職場はそれ以上だと思います。逆に、ラボって多様な生き方が「可能」ではあるのだと思う。(制度上はね)
 いろいろ考えるけど、何かが劇的に変わるなんてことはまぁまぁありえないので(それこそ1から人間を入れ替えて国を作るくらいじゃないと)、じわじわと変わっていくしかないんだろうなぁ。

【これから目指すもの(個人的)】
・もう一度勉強したいねぇ。いろいろ。知は力なり。
・英語とスペイン語を真面目に勉強してみようと思います。
・海外逃亡しようと画策しています。
・世界史にも手を出したい。

 と、いうことで。さようなら私。天国はきっといいところだ。
日常 | CM(0) | TB(-) 2018.02.25(Sun) 22:35

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創

Author:創
分子生物学系の大学院生やってました。
いまは日本の心臓で働いています。

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